2010年12月10日金曜日

ソーシャルメディアを活用できる大人

子どもたちのネット利用問題(というのも曖昧すぎる言葉なのだが)の議論の中では、しばしば結局は教育が(最も)大切なんだと言われる。
フィルタリングだ、書き込みの監視だ、法規制だなどなど言っても、結局は利用者次第なんだと。

特に、ソーシャルメディアの類(普通にはコミュニケーションサイトとか言うことが多いかも。厳密には二つはイコールでもないのだろうが。)については、「臭いものには蓋」では結局最後までは対処できない、または問題の先送りにしかならないとの指摘がほぼ共有されている感じで、ほとんど異論も出ない。

確かに。

発信利用、双方向利用の敷居が低いのがインターネットの特徴の一つである以上、安全地帯への単なる待避や保護だけでなく、(適切な段階を踏むことを前提に)能力を高めるための経験を積ませることが必要だという流れは自然にも思える。

ところが急に難しくなってしまうのが、ではその経験をどう積ませるのという問いを投げかけられた時。

生身で失敗するよりも、ひとたび何かあったら「取り返しがつかない」性質がずっと強いインターネット上で、どうやって我が子に(または教え子に)経験を積ませたらよいのか。

それにすんなり、または自信を持って答えられる人を見たことが無い。

実は、分別が付かないうちから、インターネットで発信、参加の経験を積んできた大人というのは、そのへんにはまず居ない。
(「自分が若い頃にインターネットが無くて良かった」という声を聞くことなら珍しくないが)。

もっと言えば、「失敗しない」「身を守る」利用の仕方までは何とか習得出来ていても、「ソーシャルメディアを活用したことでこんな良いことがある(かも)よ」という実体験を語れる大人は、さらに少ない(はずだ)。

ソーシャルメディアというもの自体、まだまだ発展途上であって、「こうすれば良いんだ」と断定的に語る大人を見つけたら、それはそれで眉唾ものなのかもだが、それにしても先人の経験に学ぶことは大切だろう。

その意味では時々目にする「デジタルネイティブ世代に学べ」という流れは悪くない。
彼ららしい、ソーシャルメディアを最大限に生かしたような試行錯誤への期待は大きい。

でも、さらにもっと上の世代には、成功(失敗)体験から得た知恵を、身の回りの子どもに、あるいはインターネット上に、少しずつでも言語化していくという責任があるのではないか。

自分自身、慣れないブログとかツイートにドキドキしながら取り組んでいる理由の一つは、その糸口を掴みたいというところ。

ちなみにこれまでのところ、こうして、人の目に触れる場所に書き出すという作業を通じて、自分の考えが整理される機会が得られるというのが、一番新鮮な手応え。

これから見つかるものについても、せいぜい記していきたいと思う。

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